私たちは、世界の始まりへ戻ることはできません。この世界に生まれ落ちたとき、すでに戦争や環境破壊、貧困や不平等といった不条理が根付いていました。それだけではありません。生まれの違い、家族との関係、そして選びようのない環境もまた、私たちに「与えられた」ものであり、私たちはその不完全さを背負いながら生きています。過去を変えることができない私たちは、無力なのでしょうか。
ジャン=ポール・サルトルは「人間は自らの運命の創造者である」と語りました。そうです、私たちには自由意志があります。不完全な世界にあっても、人は自ら選択し、変化を起こし、人生や社会を形づくる力を持っているのです。どのような欠落や制約を背負っていようと、それに囚われることなく未来を生み出す主体であることを、私たちは忘れてはなりません。
ユダヤ哲学の「ティクン・オラム(世界の修復)」の教えもまた、ただ現状に甘んじるのではなく、不完全な世界の一つひとつの欠片を集め、再び統合することが人間の使命であると説きます。「修復」の営みとは、与えられた不完全さを連携のもとで解決策に変え、新たな未来を築くための出発点とすることです。そこから社会に必要な価値や意味を、自らの手で積み上げていくことが求められているのです。
しかし、選択と行動には責任が伴います。私たちの前には、希望と繁栄を選ぶ道も、苦しみと破壊を選ぶ道もあります。私たちは世界を変える力を持つと同時に、その選択が世界を良くも悪くもできるという現実を突きつけられています。私たちの選択は、ただ個人の幸せにとどまらず、社会や未来に連なるものです。選択を通じて私たちはどんな世界を作り出すのか、どのように次世代により良い世界を手渡すのか――その問いに応える責任が、一人ひとりに託されているのです。
繰り返します。私たちは「受け身の存在」ではありません。能動的に世界に働きかけ、未来を創造する責任を負った存在なのです。再び世界を統合する営みとは、「過去に戻れない」という制約からこそ生まれるものであり、不完全な素材からこそより良い世界をつくることができます。不完全さは私たちに問いかけます。
――「どう生きるのか?」「何を選ぶのか?」と。
私たちはその問いに向き合い、散らばった欠片の中に希望を見出し、世界を再びつくる意志と行動を共にしていきましょう。